群れる危うさ 

群れる危うさ 愛媛新聞(11/23付)

 ツルの声は、一度聞くと忘れられない。寒気で硬く締まった空間を突き、鋭く、遠く響く。「クォーン」。かれらが存在する場に、他の生物を寄せ付けない荘厳さ▲

空から舞い降りる姿も、一度見ると網膜に深く刻まれる。家族で、群で、ゆったりと旋回しながら高度を下げる。首を伸ばした真っすぐな姿勢。何千キロもの渡りに適応した、合理的な舞だ。見とれているうちに、湿地はナベヅルで埋まった▲

何度か視察した鹿児島県出水(いずみ)平野の越冬群。今年も1万羽を数えた、いわゆる「万羽鶴」が羽を休める光景は圧巻。一回り大きく、少し紅を引いたマナヅルが彩りを添え、訪れた人々を魅了している▲

この「大群」自体が、かれらの危機だという現実は、あまり知られていない。世界の生息数は1万羽あまり。ほとんどの個体が出水市で越冬。そこで伝染病などが発生すると、たちまち「種」の絶滅につながる。必要なのは越冬地の分散化▲

今月になり、県内各地でナベヅルの確認例が相次いだ。毎年のように訪れる西予市や西条市に加え、宇和島市や愛南町にも飛来。優雅な姿が本紙でも紹介された。かれらが越冬地を選択できる環境があるからこそだ。これ以上の朗報はない▲

この国は古来、ツルと人が共存する光景が里山の象徴だった。大切なのは、えさ場やねぐらに加え、住民の受け入れ姿勢。ツルの飛来は、高い住民意識と豊かな自然の証拠。もっと広がれ越冬地。

大きな群れがひとつだけしかないということと、群れが大きいということは違う。それを取り違えないようにしなければならないと思う。
群れるからといってそれが悪いことだとは限らない。そう思います。